47社長ブログ

新規事業の開始にあたって

2010/3/ 3|コメント(1)トラックバック(0)|カテゴリ:

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47は、もうすぐ新規事業(住宅領域)を開始します。

今回の取り組みは、創業以来考えてきたことのいったん集大成。本当の意味での起業だと思ってます。

だから、自分の中での気持ちを書き記しておこうと思います。
これから採用活動も本格的に始めますが、なかなか気持ちを伝えるのが難しいので。

長いですが、興味のある方は読んでみてください。


僕は山陰地方の島根県の浜田市出身です。

海がきれいで、山がきれいで、争いがすくなくて、ひとの心が澄んだまちです。。

昭和51年2月22日に生まれました。団塊の世代ジュニアです。

父親の実家は結構貧乏だったはずです。

父は男三人兄弟の長男で、長男だからと無理して一人だけ高校に行かせてもらったそうです。

部活や遊びなんか無理。学校が終わったら農作業。それでも高校に行けてありがたかったと言ってました。

山の中のがけを登ったところに今でも父の生まれた家というか山小屋があります。

舗装もされてないがけ道でした。子供のころ、ぼくは坂道を車で登るのや降りるのが怖かった。

50年くらい前はそんな山小屋に家族みんなでくらしてたみたいです。

別にうちだけ特別貧乏というわけでもないと思います。そんな時代だったんだと思います。

その後、父は結婚し、子供が生まれたので、ローンで住宅団地に小さな平屋を購入しました。

僕がまだ小さなころ。

僕は2人兄弟で妹がいます。僕は東京の大学に、妹は東京の有名な服飾専門学校に行きました。

両親には心から感謝してます。

2人とも奨学金をお借りしたので、国にも感謝しないといけません。

僕たちみたいな普通の家。決して裕福とは言えない家の子供でも文句ない程度の教育を受けさせてもらえました。

そう考えるともう少しきちんと勉強すれば良かったですが。

でも、中学も高校も大学も学校の勉強は本当につまらなかった。申し訳ないけど。

だから反省の仕方もよくわからない感じが正直なところです。

中学も高校もそうとういい加減だったのに、そんなでも大学まで卒業できました。

だけど、卒業後は並大抵ではなく努力を重ねたと思います。

妹もそのまま東京在住。今はパタンナーとして活躍してます。

僕たちなりにすごく頑張って、東京でそれなりに自立した生活を送れていると思います。

父と母はもう60歳を過ぎています。島根県。2人で平屋に住んでいます。もう築30年くらいかな。


ふと、考えることがあります。

あと20年後や30年後。あの平屋はどうなるんだろう。

今のところ、僕も妹も島根に戻る予定はありません。

まわりにも空家は多そうですし、誰かが借りるということもなさそうです。当然、募集活動もしてませんが。

家なんて解体するにも数百万円かかります。大切な思い出を差し引いても、費用負担してまで壊す?

というかその解体のために貯金をしはじめるの?建て替えもしないし、売るわけでもないのに?

というかそれを相続するためにいくら税金を払うのか。

その時にいくらの資産価値があるのか。普通に考えるとマイナスでしょうか。

偉い人たちが考えてくれるから大丈夫なの?

僕は長男として、いつか生まれ育ったあの家や父の育ったあの山小屋をどうするんだろう?

今年34歳になりました。もうしっかり大人です。そん時考えよっかという年でもない。

不動産について、もっとみんな考えた方がいい。だから不動産屋はもっとしっかりした方がいいはず。


とか。


日本は昔の感覚でみんなが生きている気がします。

僕たちは父親世代より教育も文化も整った環境で生活ができました。

父親世代もそれでもその先代よりももっともっと整った環境だったと思います。

さて、次、そしてその次の世代。

テクノロジーは目覚ましく発展しているけど、なんていうか豊かさを発展できるのか。


コンビニで便利になった。レオパレスは初期費用無料で住めるらしい。携帯ゲームも無料。

でも、必要以上に狭い部屋でコンビニ弁当食べてネットゲーム。youtubeみて。
 
あまり豊かさが進化していないような。


少子化だろうが高齢化だろうが、10年後はくるし、20年後もくる。100年後もたぶんくる。

その時に生活する人たちのために、いま僕たちがしなきゃいけないこと。

政治家の人たちが考えることじゃない部分。

日本の世帯数は2015年にピークを迎えます。

すべての人にとって、毎日の生活のための不動産。

思い出も含めて譲り受ける不動産。老朽化していく不動産。

もちろん、夢の不動産。

縮小していく不動産取引の市場を奪ってやろうなんてわけじゃないつもりです。

不動産取引とか情報を整頓すること。

仰々しいけど、少しでも次の世代にスムーズにバトンを渡すことのお手伝い。

お金も大事だけど、仕事ってそれの大きさで順位が決まるわけじゃないはず。

お金も含めた毎日の満足度を自己評価する作業。しかも長距離走。

まとまりはないけど、そういう気持ちで仕事に取り組みたい。


とか。


田舎の人が東京に来る。一番多いのは進学や就職でしょう。

デザイナーになりたい人。エンジニアになりたい人。金髪の人。ミニスカートの人。おたくの人・・・。

いろんな人がいる。

必死に受験勉強したり、いろいろ調べたり、ドキドキ・わくわく・不安。

いろいろかかえてやってくる人たち。

晴れて、進路が決まる。国立の後期なんかも考えると3月ギリギリだったりする。

たとえば、六本木の学校や職場に決めたとする。

まずは不動産探し。

不動産屋さんに、日比谷線だから、「中目黒・代官山」と「北千住・南千住」どっちがいいです? と聞かたりする。

それが東京のひとなだけで緊張したりする。方言がでないようにしたりする。

そして、中目黒と北千住に行ったことがないから適当に答えたりお任せしたりする。

おしゃれな人には中目黒・代官山はいいだろう。そういうわけでもないいきなり田舎もんにはハードル高い気がする。

感性みがくなら、無理して少し狭くてぼろくても、中目とか代官山とか住んでたらいい気がする。


もしも身内なら、そういうおせっかいをやいてあげたい。愛情を持って。


身内じゃなくても。そんなおせっかいというか親身になってくれるサービスがあっていいと思う。


田舎から出てきたけど、最初のGWとかにすぐ帰ってしまう人たちもいる。

都会は合わないと言っているひともいる。確かに田舎は豊かだと思う。だけど本当に合わなかったのかな?

あんなに夢見て、あんなに勉強して。

スタートミスなだけなんじゃないかな。と思ったりする。


もちろん、都会の人も田舎に移る。それも同じくらい以上に怖いことかもしれない。

地元の友達に、東京弁で話しすると鼻につくと言われたことが何度かある。

もしも知らない土地で知らない人に言われたら、それはそれで、ギャグにしてもこたえるだろうな。


インターネットの検索窓が便利になればなるほど。

人の部分が大切になると思います。人間が携わらなければならない部分。人間が必要な部分。そこが勝負。

だから、仲介という仕事にはこだわりたい。とても難しく、大切な仕事だと思っています。




ちなみに、僕もワクワクとかドキドキとかしながら不安もかかえて島根から出てきた。

当時は別にたいした目標も「なりたい像」もなかった。ただ、ドキドキしてたのは間違いなかった。

最初の家は埼玉県新座市。なんか思い描いてた都会とはずいぶん違った。駅前には当時ヤンキーとかいてこわかった。

友達に一人暮らしなのになんで埼玉なの?って聞かれたりした。しぶいねとか。

しぶいのか?とか真面目に思った。

練馬とかでも普通に安いっしょ。とか。

いまさらそんなこと言われても。っていちいち間に受けた。

ちっちゃなことに泣きそうになった。いろいろ皿とか箸とか家具とか買った後だし。


結局、とりあえず東京人になるために、引越すことに決めた。

最初の夏休みは、根性で週7バイト。清瀬駅前のパチンコ屋さんなどで

もらったお金全部使って夏休み明けにに池袋に引越した。

僕にとって最初の新座市のコーポ藤はなんだったんだろう。

バイクもおけたし、別に悪くないハイツだったけど、僕の夢の東京ライフにはほど遠い場所だった。

コーポ藤は大学が決まってすぐ、たしか2泊3日くらいでひとり上京したときに契約した。


ドキドキしながら飛び込んだ不動産屋さん。緊張しながら。結局部屋の中も見ないで決めた。

仲介してくれた人がすすめてくれた通りに信頼して契約をした。

だけど、その後上京して鍵を取りに行った日にその人はいなくて、なんとなく冷たく悲しかった。

かわりの人に鍵をもらったけど、コーポ藤までの行き方も教えてくれなくて悲しかった。


確か不動産屋さんは東久留米駅で、コーポ藤は清瀬駅で、なのに住所新座市でだいぶ迷った気がする。

先入観もあってか東京って冷たいまちだなぁ。って思った。

どちらにしても、初めて取引したのは不動産だった。


とか。


田舎でも旅行行く相談をすれば、パンフレット出してくれたり、予約してくれたりする。1泊2日でも。

田舎でも東京行く相談をすれば、パンフレット出してくれたり、探すの手伝ってくれたらいいのに。

何年もくらすかもしれない場所。

そんなためにインターネット使えたらいいんじゃないか。

とか。


郊外を歩いていると、アパートとかマンションとかあって、たいがい入居者募集ってはってある。

でもだれも電話しないと思う。そもそも歩いた人しかみないし、看板ありすぎ。間取りも家賃もわからない。

そろそろオーナーさんたち困っているんじゃないかな。

オーナーさん困って管理会社に毎週顔だすと、いやな顔とかされてないかな?

自分で何かしてみようって人もいるんじゃないかな。でもやり方がなかったりするんじゃないかな。

今後世帯数の減少が確実視されている中で、もっともっと大変になるんじゃないかな。


とか。


専任媒介とか、一般媒介とか、広告料とか宣伝費とか礼金とか償却とか更新料とか、利回りとか仲介料とか。

リクルートとか、ホームズとか、アットホームとか、レインズとか。ファンドとかREITとか。

保証人がいるとかいないとか、保証会社の審査がどうとか。

なんか、わけわかんない。もっとシンプルな方がいい。

貸しているとか借りているとか持っているとか売るとか。

なんというか、

信用できないなら貸さなきゃいい。信用できないなら借りなきゃいい。

売りたくないなら売んなきゃいい。買いたくないなら当然買わなきゃいい。


そうじゃないなら、疑ってないで、向いあった方がいいのに。

借りる方が偉いのか、貸す方が偉いのかそんな話はもうよくって、どっちもおんなじ。


調整は値段とかがするんだから。どの商売でもそうだと思うけど。

特にこれからの時代は売り手や貸し手の人たちも今まで通りにはいかない気がする。

とか。


安く売るってことはだれかが安く買えるってことだし。

安く貸すってことはだれかが安く借りれるっててことだし。

逆もそう。


マーケットをもう少しちゃんと作って、うそやかけひきやめちゃえば、損得じゃない部分が大切になる気がする。


とか。



2002 年。有限会社東京オフィスを一人で設立。以来、ずぅっと考えてきました。たぶん土日も夜中も。

47の創業をしてからも。

仲介料とか日本全部歩いたとか、そういうのばかり注目していただける。

でも、実は本質はそこにはなくて、ただ、きっかけを探してただけなんです。


それで、

やっ とこれで勝負しようというものを見つけた気がします。

松田春香と話をしてて、ひらめいた。(というか彼女がひらめいたのか・・・)


ホテルとか、結婚式とか、乗換とか、ECとか、地図とか、辞書とか、海外旅行とか、オークションとか。


画期的に取引の構造が変わった中で、不動産取引は変わっていない気がします。


ぼくごときに何ができるかわからない。けど、優秀な人たちに力を貸してもらいながら頑張ればいい。

とてつもなく多くの人の力を借りたい。とてつもなくお金もかかると思う。

でもだれかこういうことやった方がいい気がする。という事業をやります。

マネされたら世の中良くなるような会社になったらうれしい。負けたらダサいけど。


日本中のビルを見てまわって、そのあと世界にも出てみはじめて、いろんなことに気付いた。

毎日の景色とかにおいとか歩くとか×時間。

友達できたり恋したり常連になったり仕事したり辞めたり酔ったり歌ったりさぼったり逃げ出したり。

時間がすごく大切でそれをまとめて思い出ができて人生になっている。

たった1日でできることって無限大なことに気付いた。

たった1日でも大切。

そのたった1日たちの演出をするのが不動産屋なんだと思っています。


それで、不動産屋さんじゃできない部分を補える、そういうネットサービスを作ります。



ちゃんと日本で形を作って、いつか世界に出る日本の人たち向けのサービスもつくりたいと本気で思っています。

もしもそのサービスを他の国の人たちにも提供できるようになれば最高です。


採用も開始します。できればずっと。

一人でも多く、ちょっとでも共感してくれたり興味を持ってくれる人と一緒に大きな仕事をしたいです。



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初めまして。突然のコメントで失礼致します。何気なく求人募集を拝見し、珍しいスタッフブログをついクリックしてしまってから、目の前の文章に惹きこまれてしまいました。今まで不動産という分野をこうした視点で考えたことが無く、未来を見据えた自分たちの関わり方、在り方をしっかり捉えてお仕事をされているんだということが伝わり感激致しました。これだけ色々な企業が立ち上がる中、篩いにかけて残るのは人間の温かさだと思います。
勝手な言い分を、お許し下さい。
御社の様なサービスを、同業の方々が意識して業界に浸透していくことを祈っております。

2010/3/ 8 23:17| 小川 千尋

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プロフィール

宇垣充浩

宇垣充浩
1976年生。島根県出身。武蔵大学経済学部卒。
2002年前身の東京オフィスコンサルティングを26歳で創業。47株式会社の代表取締役として会社を牽引。